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ゲームの可能性信じ、エフェクトツールのBISHAMONに注力=マッチロック・後藤誠氏<開発現場インサイト>

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BISHAMONエバンジェリストとしての活躍、ミッションについて教えてください。

後藤:弊社には「日本のゲーム業界を元気にする」との理念があります。私はゲームについて注目すべきはリアルタイムでドラマチックな演出と考えています。具体的に手掛けているのはエフェクトという映像効果です。このエフェクトで、下手に扱えば平凡になってしまうシーンでも、一気にドラマチックにすることもできるわけです。このエフェクトのために考え抜かれて開発されたのが弊社製品であるBISHAMONです。

ゲーム以外の映像作品でも「間(ま)」であったり、さりげなく現れる映像効果が脳裏に焼き付きます。それが自分の「思い出」になっていくのです。ファミコンのころから考えても、日本のゲームは凝っています。特長としては、ドラマチックでイマジネーション豊かな演出が挙げられます。一方で、日本のゲームの特徴を生かしながらいかに低予算でよい作品を作れるかが課題になってきます。

これは私自身の信条なのですが、ゲームとは非現実ではありますが、ゲームの世界で仲間と一緒に冒険して苦労することは、その人にとっての体験でありその人自身の物語になるのです。

絵本を考えてください。物語によって脳内で疑似体験をする。絵本を読んだことで読者も感動し、喜びを得ます。

ゲームも、それをする人が主人公として体験するのです。冒険して失敗して、何度も挑戦して成長する。その人にとっての体験であり、単なる遊びではなくて人生の一部なのです。だから、ゲームは絵本と同じと考えています。人生に大きな影響を与えるメディアなのです。だからこそ、若い人やこれから生まれてくる子どもによいゲームを残さねばなりません。

「ゲームの可能性」や「ゲームの力」を信じているということですね。

後藤:日本ではまだ、「ゲームは暇つぶし」との考え方が強く、ゲームの力が十分に活用されていないと思います。一方で、世界ではゲームを使って訓練や教育をする動きが進んでいます。

例えば、理系離れが問題になっていますよね。アメリカやオランダなどでは、大学が学生にゲームによって物理や数学を学ばせ、単位も与えるケースがたくさんあります。社会行動学ではゲームを作って群衆の動きをシミュレーションさせる。私にとっては次の目標ということになりますが、こういう動きを日本でも広げたいですね。

要するに、ゲームというものにはモチベーションをコントロールしつつ、何度もトライさせて最終的には目的を達成させるという機能があるのです。

シリアスゲームというジャンルがありまして、米国ではディズニーランドにおける従業員の訓練や、会社のマネジメントを学ばせるために使われています。

従来型の教科書のように、正しいことを教えて「さあ、実践してください」というのではなく、ゲームならば失敗経験を何度も積み重ねることになります。失敗から学ぶことも多いですよね。最終的に「こうすればよい」と、ゲームを通じて理解できるわけです。学びの分野でゲームは効果的だと思います。

日本でも「えいご漬け」や「Wii Fit」がとても流行りました。それらもひとつの形ですし、もっといろいろな形があってよいはずです。歴史の学習でも、キャラクターとなって体験させる。目の前の現実のように展開するゲームを通じて「なんでその時、農民は一揆を起こしたのか」といった当時の人々の心情を理解できるのではないでしょうか。

ゲームは人の成長の過程に大きな影響を与えます。ゲームにはよいパワーだけでなく悪いパワーもあるのは事実です。だからこそ、どう使うかが問題になるのです。そして、よいゲームを作ることは開発者にゆだねられています。だからこそ、よい開発者を育てたいと願っているのです。

よい開発者を育てるための取り組みを教えてください。

後藤:例えば、ゲームエフェクトコンテストを開催しています。第1回は2008年で、間が少し開いて第2回は2012年に開催し、それからは年に1回、開催してきました。今年(2017年)も年末には第7回を開催したいと考えています。

それから、本を出版したいと思って出版社に話をしたり、専門学校にエフェクトを学ぶ学生を増やすように働きかけたりしています。エフェクトコンテストについていえば、コンテストで受賞した学生が就職を決めるきっかけになったりしています。少しずつ形になってきたのかな、と思っています。

ゲームの世界にはさまざまなコンテストがありますが、モデリングやモーションについては少なかったのです。日本にはエフェクトについての賞がありませんでした。エフェクトについては本や学ぶ場など、統一して学べる環境も最近までなかったのです。

野球の世界では甲子園が登竜門になっていますよね。甲子園で活躍すればプロの選手になれる道が開けてきます。エフェクトコンテストも、ゲーム業界の登竜門として育てていきたいと考えています。

エフェクトについては、それまで人材をどのように育成していたのですか。

後藤:ひと言でいえば、それぞれのゲーム制作会社で教育していたわけです。エフェクトに限らず、各種のツール、あるいは環境というものの開発を会社の中、いや、プロジェクトごとにしていたのです。昔はゲーム作りの7割を環境開発につぎ込んでいた感じです。

さまざまなプラットフォームづくりはコスト削減につながります。そういった動きが出てきたのは10年ほど前からです。例えばUnityなどの各社が共通で使えるゲームエンジンが出てきたことで、状況が改善されました。BISHAMONの場合には、ゲームエンジンが出てくる前から各社の独自エンジンでも使えるようにしていました。

BISHAMONを利用すれば、エフェクトのデザイナーはノウハウを蓄積することができます。各自の経験を資産にすることができるわけです。

いずれにせよ、ツールや環境は道具です。画家にとっての画材と同じです。筆を使うか、マウスか、あるいは液晶タブレットか。いずれにせよ、アーティストはその画材を使って自分の経験を生かしてイマジネーションを発揮するのです。最終的によい作品を生み出してもらう部分では、アーティストのクリエイティブな力を信じることになります。

この世界に入ったきっかけと、現在に至るまでの道を教えてください。

後藤:そもそものきっかけはゲームで遊んで楽しかったことです。そして自分の場合には、作ることが遊ぶ以上に楽しかったということです。同じ世代ならば経験した人も多いと思うのですが、すがやみつる先生の「ゲームセンターあらし」という漫画を愛読しました。そして、この作品の「あらし」というキャラクターを使ってプログラミングを解説する「こんにちはマイコン」という漫画作品があったのです。

衝撃でした。小学生高学年のころでしたがIF文やループを組んだり、いろいろやりました。中学生に入るころにはプログラミングのことしか考えていませんでした。今から考えればくだらないゲームを作って弟にやらせてみたり、雑誌に掲載されていたプログラムを自分でアレンジしたり。

しばらくしたらファミコンがでてきました。そこで、ファミコンのゲームを再現しようと夢中になりました。高校時代にはアセンブラに没頭していました。そのころまでには、将来はゲーム関係の仕事をしたいと思っていました。

福祉関係の仕事も、人の役に立てる仕事ということで、ちょっと考えました。でも、自分自身に「何をやりたいのか」と問いかけてみると、結論はやはり「ゲームをやりたい」と。

ゲーム制作のためのプログラミングを学ぶ学校に進学したのですか。

後藤:いや、当時はそういう専門学校がなかったのです。家に経済的な余裕がなかったので夜間大学に通いました。新聞配達などのアルバイトをしました。そんな時、PCエンジンのゲーム開発の求人募集を見つけたのです。それまでにもプログラミングのアルバイトをしたいと思っていましたからね。そして、アセンブラができるということで採用されたのです。

これが、ゲーム業界に入ることになった経緯です。それまでは、プログラミングばかりやっていると叱られていたのに、今やプログラミングで飯が食えるということで嬉しくてしかたありませんでした。

その後、エフェクトツールの仕事に特化されていったわけですね。

後藤:まず、前の会社で仕事をするうちに、ゲーム開発でもっと効率をあげられないかと思うようになったのです。そんな時期に、スクリプトによるマルチプラットフォームづくりが始まりました。スクリプトをつくって1つのゲームを作れば、別のゲームにも使えるというわけです。1998年か99年のころでした。

エフェクトについて言えば、そのあたりからツールがやっと出始めました。それまではプログラムを組んでいたのですが、アーティストだけでエフェクトを作れるようになりました。大きな転換期ですね。2003年から04年ごろまでに、いろいろな会社内で同じ動きが進んでいました。エフェクト、イベント、背景に仕掛けを埋めるマップなど、プログラムを組んで環境開発ツールを作るのが自分の仕事の中心になっていきました。

環境が整備される一方で、今度はそういう環境をメンテナンスする人が必要になりました。最初はプロジェクトごとの専属でした。つまり、その人がいなくなったらプロジェクトが成立しないわけです。

環境を複数のプロジェクトで共通化する動きもありました。しかしひとつの環境が「あちらに合えば、こちらに合わない」という矛盾が出ます。メンテナンスをする人にかかる費用をどちらのプロジェクトが持つのかという問題も出てきました。それぞれのプロジェクトが自分の仕事に責任を持たねばならないので、当然そうなります。

それで、結局は各プロジェクトがそれぞれ専属で人をつけることになりました。これでは元の木阿弥です。そのようなわけで、会社として統一的に責任を持ってメンテナンスやサポートをする必要があると思いました。担当者がいないとメンテナンスできないツールを作っても、アーティストやプランナーは幸せになれないと思ったわけです。

その延長線で、ミドルウェアの会社に入ろうと思うようになりました。よいゲームを作ろうと思ったら、別々の環境をそれぞれ作っていたのではだめだ。独立した会社が環境を作ってメンテナンスやサポートまでをするのではなければだめだ、と強く思うようになりました。

そこでマッチロックに入ったわけです。それまでエフェクトについて専門的にやっていたわけではありませんが、この分野は弱いなとは感じていました。そんな時にBISHAMONにかかわることになったわけです。マッチロックがゲーム業界の中でも早くからエフェクトに注目していた着眼点はすごくよかったと思います。モデリングやアニメーションでは共通ツールがありました。でもエフェクトの分野にはなかったのです。

日本のゲームにとってエフェクトがいかに重要かということは、それ以前から痛感していました。それまでにいた会社では、素晴らしい映像の作品を作っていました。その映像のすばらしさの理由のひとつがエフェクトだったのです。でも、社内で開発したものなので、別の会社は使うことができない。社外でも使えるエフェクトツールによって、ゲーム業界全体が幸せになれると思ったわけです。

マッチロック株式会社 取締役 BISHAMONエヴァンジェリスト 後藤誠(ごとう・まこと)氏

BISHAMONにかかわっていく上での苦労を教えてください。

後藤:どこの会社のどんな製品でも同じことだと思いますが、もっといろいろな機能をつけたいと思っても、予算やエンジニアの手数など、夢と現実の矛盾は出てきます。弊社の社長(注:藤本文彦氏)もBISHAMONに人生をかけていますから、いつも悩んでいます。

現在は、次に出すBISHAMONでは今までは夢でしかなかったことが実現できると、全社一丸となって頑張っているわけです。

ゲームづくりにおけるこのところのひとつの大きな変化は、Unityなどの台頭でゲームづくりをする人が増えたことですね。作り手のコミュニティーが浸透してきました。ポテンシャルがとてつもなく大きくなりました。私どもはエフェクトに特化しているわけですが、皆さんが共通で使えるゲームエンジンとのコラボレーションは非常に大きな力を発揮しています。

それ以外に、仕事の上で壁に突き当たったことはありますか。

後藤:私はプログラマーでした。会社に行ったら外に出ることもなく、パソコンに向き合ったきりの仕事です。それが、BISHAMONのエバンジェリストをやってほしいということで、人前でプレゼンをしたり、いろいろ話をすることになりました。それまでとはまさに、真逆ですよね。

それでも、やらねばならないということで、例えばエフェクトセミナーを開催したわけです。2012年でした。専門学校に場所をお借りして定員60人として出席者を募ったのですが、数時間でいっぱいになってしまった。そこで100人に増やしたのですが、それでもその日のうちに埋まってしまいました。

その時、自分の熱い思いを語ったことが大きな転機になりました。エフェクトを手掛けているアグニ・フレア様のご協力も受け、エフェクトの制作や実演をしていただき、考え方を語っていただきました。

このセミナーを経て、エフェクトコンテストもやろうと思うようになったわけです。慣れない仕事でも一生懸命に取り組んだことが、自分の殻を壊すひとつのきっかけになりました。

これからは、どんな仕事をされたいと思っていますか。

後藤:とにかくまずは、BISHAMONの進化と普及です。弊社社長の熱い思いを痛感していることもありますし、次のステージにどう上げていけるかと考えています。

そして、エフェクトの活用をゲーム以外の分野にも広げていきたいですね。アニメでは一部の事例があるのですが、エンタメ系以外ではまだ見当たりません。エフェクトだけではなく、ゲームづくりで培ったノウハウを他の分野にどう生かすかが課題になってきました。

例えば、ゲームエンジンのUnityもそうです。だれでも簡単に触れるツールです。その利用が他の分野に拡大しています。これは大きな現象です。

このことはまず、ゲーム業界の収益性の向上にもつながります。それからゲーム業界以外が、ゲームの技術を持つ人材を求める動きが出てきました。

この業界を目指す人のことを考えれば、大手のゲーム会社に入るのは現実問題としてそう簡単ではありません。個別の就職先を考えても、当たりはずれのあるビジネスという事情があります。ヒットさせるセオリーはあっても、結果が最初から分かっているわけではありません。だからこそ、常に胸を躍らせながら挑戦しつづけるという面白さがあるのですが、人として食べていかねばならない以上、仕事を得て、それを維持することを考えないわけにはいきません。

だから現在は、多くの業界がゲーム制作の技術を持つ人材の受け皿になる動きが加速していることで、技術を身に着けようという決断を、より安心して下せるようになりつつあるのではないでしょうか。Unityはこういう面でも大きな貢献をしていると思います。

私個人としては、ゲームの技術を学んだ人が、医療や教育などの分野で活躍できるようになるのは、すごくよいことだと思います。何より、学んだ人が学んだことを生かせる状況はすばらしいことです。

この業界を目指そうとする人へのアドバイスをお聞かせください。

後藤:ゲームを遊ぶ側から作る側になろうとすれば、かなり大きな段差があります。それを乗り越えるのには、大変な部分もあります。しかし、乗り越えることができれば、はるかに面白いのです。

作る楽しさに取りつかれたら、それこそやみつきになります。この業界を目指す人には、そういう体験をしてほしいですね。そして、よいゲームをたくさん作っていただきたい。就職というのは決して、ゴールではありません。段差を乗り越えて、新しい世代のためによい作品をたくさん残してほしいと願っています。

後藤様の場合、比較的自然に段差を乗り越えたようにも思いますが。

後藤:そんなことはありません。プログラムを学び始めた当時はインターネットもなく、情報を集めるのも大変でした。とにかく、いろいろな人のプログラムを書き写しました。「写経」ですよね。トライ・アンド・エラーの繰り返しです。そうしてやっと、ひとつのことが分かったときに「ああああ! そうなんだ!!」となる。いわゆる「アハ体験」です。そういうことが何度もありました。もがいてもがいて苦しんだ努力がやっと報われる瞬間でした。

今でも感動することは多いですね。例えばUnityもそうですが、あんなに苦労して作っていたものが、こんなにうまくまとまっていることに、つまり仕組みのすばらしさに感動します。

ゲーム作りたいと思うのは感動があるからですよね。そういう感動のある物語を自分の手で作っていきたいということだと思います。やはり、人を動かす源泉は感動だと思っています。

取材・構成:D-Studioマガジン

マッチロック株式会社
後藤誠(ごとう まこと)
マッチロック株式会社取締役、BISHAMONエヴァンジェリスト。 「良いゲームは良い開発環境から生まれる」という信念のもと、長年に渡りイベントシステムを中心にカットシーンツールやエフェクトツールの開発に従事し、 社内のゲーム開発環境改善に取り組んできた。現在はマッチロック社にて「BISHAMON」の開発に加わり、日本のゲーム開発力向上を目指し活動中。 世界中に感動を轟かせるゲームが日本から多数生まれることを望み、Unityを使ったGame JAMなどを通して若きクリエイターの人材育成にも取り組んでいる。 代表作は「シュビビンマン2」「百物語」「続・初恋物語」「ぼくドラえもん」「頭文字D(PS版)」「FRONT MISSION 4」「FRONT MISSION ONLINE」「Final Fantasy XIII」「DRAGON QUEST X」など全26タイトル。

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